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半年の夏休み【2022/09/03】

こんにちは、ぽぽろん研究所です。

誰しもが一度は思ったことがあるだろう「毎日がエブリデイ休日ならいいのに」と。誰もが羨むNEET生活を2年ほど前に行ったので、その時の経験でも話そうと思います。

ニートの始まり

ときは2020年5月頭、世間はコロナによる外出自粛を強要し始めていた時期です。私は就活を適当に終わらせ、体外発表もコロナによる有耶無耶にされつつも卒業要件をほぼ満たした(修論以外)勝ち組になってました。すなわち、やることはほぼないのです。(修論?あんなもの過去の結果をペタペタ貼って出しとけばいいんだよ!!)
しかし、この時期は外出自粛のため、大学は入れず、全てオンライン化しました。研究やゼミ、講義までもがオンライン化して教授は大変に。これにより学生への要求が急激に減ったのです。こちらも「ネット回線が。。」と言い訳をしておけば全て許されていたので、大学は4月から実質夏休みに突入したのです。
就活の終了+外出自粛+大学の機能低下により私はニートになりました。バイトは当然してません。

ニート生活の実態

ニート生活とは言っても、最低限のゼミの参加と友達とのラーメンは行ってました。最低限のゼミとは、Zoomに入ってシャワーを浴びたり、Zoomのカメラでバ美肉して遊んだりすることです。
それ以外は基本的にベッドと椅子を往復して、1週間に1回程度買い物に外に出る生活をしてました。当然、昼夜は逆転し、好きなときに好きなだけ眠れる生活はとても最高でした。頭からキノコが生えるのではと思う程度には引きこもってました。
しかし、この生活を2ヶ月程度続けると気づくのです「飽きた」と。これまでは、意味もなく大学に行って何も成し遂げてないが、大学に行くという事象で謎の達成感を得ることができていました。2ヶ月何もしないでいると全く達成感を得ることができず、「このまま何もしなくて良いのか?」、「何かしなければならないのか」と思うようになるのです。この感じはまさに、夏休み終盤に感じる「宿題がたくさん残っているけれど、夏休みはまだある」というのに近いように感じました。
「漠然とやらなければならないのに、やれない。やる必要にかられていない。けれど、やらければならない。」という無限ループに陥るのです。遠いようで近くて、認識をすることが難しい、虚数軸に恐怖がある感じです。

ニートの終わり

10月になり、自粛が少し緩和され、大学に週1で行くようになりました。研究はしていませんでしたが、大学に行くというウィークリーイベントをこなすだけでも達成感が得られました。
人間は程よく物事をこなし、適度に達成感を得るほうが人間らしい生活が送れるのかなと思いました。
現状の週5の8時間労働は仕事のために生きている感が半端ないです。最近は「今日も生き残った」という達成感が大きくなっています。でも、ごちうさに貢げているので幸せです。

最後にニートについて

昨今、ニートとして家に引きこもっている人が多くいると言われています。ニートの生活を経験してみて、彼らは彼らなりの追い詰められ方をしているのかなと思いました。常に夏休みの終わりを感じながら生きるのは意外と苦しいものがあります。特にいつ終わるかわからないような場合は。彼らはやり方を知らない、あるいは必要がない状況がニートにさせているのではないかと思いました。
環境がニートを生むのです。

それでは、また次回。